クリスチャンパパ物語

How sweet are your words to my taste, sweeter than honey to my mouth! Psalms119:103

子どもを叱る必要はあるか

子どもをどのように叱るのか。

 

息子が大きくなるにつれて、その理解が大分変わってきました。

 

以前までは割とよく怒ったり、叱ったりすることがありました。怒鳴り散らすことはありませんでしたが、息子の悪い行いに関しては基本的に厳しい態度で接していました。それは聖書がそのように語ってると考えていたからでした。私が生き方の土台に置いている聖書には、子どもに「懲らしめ」や「訓戒」を与えなさいと書いてあります。また、父親には「威厳」をもって子育てするようにも語られています。

 

しかし、今、振り返って思うことは、今までは「懲らしめ」や「訓戒」を与えることと、「怒る」ことや「叱る」ことをごっちゃにしていたように思います。そのため、厳しい態度で接し過ぎ、その結果、私が叱ることに息子が敏感になっていったように思います。

 

子どもを「怒りなさい」「叱りなさい」とは明確に書いてあるわけではないのにも関わらず、厳しく接し過ぎ、彼に負の影響を与えてしまったことを申し訳なく思います。まだ小さいうちに気づけたことに感謝し、自分の息子に対する態度や言動を改めている最中です。

 

今は、怒ることも、叱る(強い態度で責める)ことも控えるようにしました。悪いことは悪いと指摘しますが、感情的になったり、息子を圧するよううな態度は基本的に取らないことにしました。また、不機嫌になって、無言の否定的なメッセージを発することも控えるようにしています。

 

悪いことはきちんと指摘し、親の言うことに従えないのであれば、必要に応じて「懲らしめ」を与えます。それらを"怒り"や"厳しさ"からではなく、”愛”と"憐み"を持って行うように努めています。また親である自分が「常に品位を保って」感情的にならずに接するように努めています。

 

聖書は、子どもを「苛立たせてはいけない」「気落ちさせてはいけない」とも命じていますが、怒り過ぎる、叱り過ぎることで、子どもを落胆させたり、自尊心を失わせたり、子どもの心に恐怖心や反抗心を植え付けたりしてしまうのだと思います。

 

子供が大きくなれば「叱る」ことも必要になると思いますが、我が家では、子供がまだ幼いため、親が叱ることで子どもは取り乱したり、泣きじゃくったりして、コミュニケーションが取れなくなることが多いです。きちんとコミュニケーションを取るためにも、厳しく、強い態度や言動には配慮する必要があります。

 

親としてはすぐに言うことを聞かせたいがために、高圧的な態度をとってしまうことがあります。しかし、それは一時的な効果はありますが、恐怖心によるコントロールともなり、子どもに負の影響を与えてしまいます

 

聖書は、人の怒りは罪であり、神の義を実現しないと語っています。そして、怒るのにおそいようにとも命じています。怒りは怒り(反抗心)を生み、関係を破壊します。ちょっとしたことでもイラッとしてしまう私は、自分の子どもに対する怒りによって、将来罪の刈り取りをすることがないよう、神様に憐みを請う必要があります...。

 

今、私が持ってる結論は、品位を失わず、毅然とした態度で、罪や悪い言動を責める。そして、親の言うことに従えないのであれば、その罪の度合いに応じた、また、その子に相応しい懲らしめを、愛をもって与える。そして、子どもを哀れむ思いをいつも忘れない、というものです。

 

子育ては親育てだと日々感じます。つまらないことで怒ったり、イライラしてしまう自分に嫌になることもありますが、これからも神様が私を育ててくださり、子どもを守り育んでくださるので、希望を持って前に進んでいくことができます。