クリスチャンパパ物語

How sweet are your words to my taste, sweeter than honey to my mouth! Psalms119:103

霊的生活の敵: 忙しさ

我が家では朝急ぐということがほとんどない。普段は当たり前だが、今朝は慌ただしい朝となっため、非常にありがたく感じた。

 

先進国に生きる多くの人が、慌ただしく生きているだろう。人々は、忙しく生きなければ成り立たない、急いで当たり前の社会の中に置かれている。忙しさはもはや、一つの美徳とさえなっていると言えるかもしれない。

 

クリスチャンで哲学者であるDallas Willardは、" Hurry is the great enemy of the spiritual life in our day.  You must ruthlessly eliminate hurry from your life."と語り、急ぐことの危険性を指摘している。

 

また、C.S.ルイスの霊的な指導者であったWalter Adamsは " To walk with Jesus is to walk with slow, unhurried pace. Hurry is the death of prayer and only impedes and spoils our work. It never advances it. " と語り、急がないことの重要性を伝えた。

 

"忙"しいという漢字が表すとおり、忙しさによって人は心を失う。クリスチャンであれば、主の臨在や祈り、主にある愛や平安、喜びを失う。身体的な健康を害したり、霊的な栄養失調にも陥る可能性が非常に高いのではないだろうか。

 

悪魔は、日々当たり前に人々(クリスチャン)が忙しくすることによって、良い心を奪っている。多くの人が疑うこともない中で...。

 

エスさまは公生涯において、非常に多くのことをなされたが、忙しさに心を失うことはなかった。また、忙しさを良しとせず、忙しさと闘われたとも言えるかもしれない。

 

安息日を守り、一人で静かなところに出て行って祈られた。不安や貪欲さから働くということもなく、心を守られながら、ミニストリーを行われた。その姿に私たちはたくさんの学ぶことがあるだろう。

 

もし忙しい生活を送っていて、家族と過ごすのは朝と夜だけ。そんな生活を送っていながら、その貴重な時間さえも忙しく過ごしたり、忙しさからエネルギーのない(人を深く愛する余裕がない)状態で、愛する家族と過ごすなら、なんと悲しいことだろう。

 

私たちは神と隣人を愛するように召されている。そのために少しでもできることがあるならば、その一歩を踏み出したい。