クリスチャンパパ物語

How sweet are your words to my taste, sweeter than honey to my mouth! Psalms119:103

霊的リーダーシップを持つために

霊的リーダーシップを持つためにはどうしたらいいのか?

 

新約聖書に書かれた長老(霊的リーダー)の条件は、家庭をよく治めることのできる人物である。教会をリードする前に、家庭をリードできているのかが、選別の基準となっている。また、これは牧師を目指す者だけでなく、家長としての責任を委ねられているすべてのクリスチャン男性のチャレンジでもあるだろう。

 

僕は、家庭をよくリードしたいという思いがありながらも、それが十分にできていないことを残念に思うことが多い。霊的な面で、家庭をどう導けるのか。もちろん以前よりは成長しているものの、もっともっと自然体で、キリストの臨在に溢れて家庭をリードできたら幸いだと思わされます。

 

霊的リーダーシップを持つためにまずすべきことはおそらく、自分自身をリードすることだろう。具体的には、自分自身がキリストにリードしてもらえるよう、キリストの弟子としてのアイデンティティに生きることだろう。家庭を治める前に、まず自分自身がキリストに支配され、満たされることが必要になると思う。逆にいえば、自分の罪や他者の目、その場の雰囲気などに左右されずに、それらのものに打ち勝って、霊的にその場をリードするのである。

 

他者をリードする前に、自分自身がキリストにリードされる。自分自身が霊的に生きることなしに、霊的なリーダーシップを持つことはできません。キリストにあって生きることなしには、人々をキリストのもとに導くことはできません。

 

この世から、また、他者から悪影響を受ける時も、自分がそれらにリードされるのではなく、御霊にリードされることを祈り求める必要がある。人から影響を受けて人をリードするならば、それは霊的リーダーシップではない。キリストから影響を受けて人々をリードするのが霊的リーダーシップである。

 

しかし、この堕落した世の中で、罪を持った自分が、同じように罪を持っている人たちの周りで生きるとなると、多くの問題を抱え、容易に霊的リーダーシップを失ってしまいます。

 

家庭においても、誰か一人でも不機嫌な人がいると、その場の雰囲気はネガティブな方向に傾いていく。その時に、相手の感情に自分自身がリードされるのではなく、自分がキリストにあるポジションから出てしまわないように気をつけないといけない。

 

相手がどうのこうのではなく、愛し続け、仕え続け、祝福を祈り続けるところに、キリストの支配にあるリーダーシップが生まれてくるのだろう。