クリスチャンパパ物語

How sweet are your words to my taste, sweeter than honey to my mouth! Psalms119:103

聖なる仕事としての子育て

世界中でコロナウイルスが大きな騒ぎ、問題となってる中でも、

 

自分自身の日々の生活の中で、神様が喜ばれる歩みを求めたい。

 

昨日、自分自身の子育てに対する態度について悔い改めを迫られた。

 

クリスチャンにとって、

 

子どもは神様からの賜物(詩篇127:3)

 

である。

 

子どもは私のもの(所有物)ではなく、

 

神様のものであり、神様から預けられたもの。

 

だから、神様が望まれるように教育する責任が私たちにはある(エペソ6:4)。

 

子育ては、絶対的な権威を持ったお方から委ねられた聖く、尊い責任である。

 

その責任を、私は、どこか甘く考えてるところがあった。

 

子育てという働きを行う時よりも、有給の仕事を行う時の方が、厳格な態度で行う。

 

上司も同僚もいない、また、給料も出ない働きである子育てを甘く見ている自分がいる。

 

最も悔い改めさせられたのは、子どもが一人遊びに熱中した時など、暇ができればスマフォを見ようとすることである。

 

もしイエスさまが私の立場に立たれたら、目の前にいる子どもに集中し、その子を祝福し、色々なことを積極的に教え、その子との時間を大切にするはずである。

 

出来損ないの親である自分について、神様に申し訳なく思う。

 

しかし、こんな自分だからこそ、神様は助けを与えてくださる。

 

最大の助けである聖霊様の力によって、息子を全身全霊を持って愛することができますように。