聖なる仕事としての子育て
世界中でコロナウイルスが大きな騒ぎ、問題となってる中でも、
自分自身の日々の生活の中で、神様が喜ばれる歩みを求めたい。
昨日、自分自身の子育てに対する態度について悔い改めを迫られた。
クリスチャンにとって、
子どもは神様からの賜物(詩篇127:3)
である。
子どもは私のもの(所有物)ではなく、
神様のものであり、神様から預けられたもの。
だから、神様が望まれるように教育する責任が私たちにはある(エペソ6:4)。
子育ては、絶対的な権威を持ったお方から委ねられた聖く、尊い責任である。
その責任を、私は、どこか甘く考えてるところがあった。
子育てという働きを行う時よりも、有給の仕事を行う時の方が、厳格な態度で行う。
上司も同僚もいない、また、給料も出ない働きである子育てを甘く見ている自分がいる。
最も悔い改めさせられたのは、子どもが一人遊びに熱中した時など、暇ができればスマフォを見ようとすることである。
もしイエスさまが私の立場に立たれたら、目の前にいる子どもに集中し、その子を祝福し、色々なことを積極的に教え、その子との時間を大切にするはずである。
出来損ないの親である自分について、神様に申し訳なく思う。
しかし、こんな自分だからこそ、神様は助けを与えてくださる。
最大の助けである聖霊様の力によって、息子を全身全霊を持って愛することができますように。