クリスチャンパパ物語

How sweet are your words to my taste, sweeter than honey to my mouth! Psalms119:103

私たちの背後で生きて働かれる神

様々なことがあり、最近はパッとしない日々を歩んでいる。

 

普段よりも、神様との距離を感じる。

 

そんなこともあり、ブログのアップも滞っていた。

 

問題が起こると、自分の心や不安定になる。そして、それが嫌になる。

さらに、自分の感情を保つのに時間を取られ、生産的な時間の使い方ができなくなる。

そして、さらに嫌になる。

 

問題によって、心の奥底から生まれる平安や喜びが失われる。

 

しかし、実際には、試練は誘惑に陥る機会になるだけでなく、人格が精錬される機会ともなる。自分の受け止め方と対処の仕方によって、プラスにもマイナスにもなるのである。

 

問題が起こると、自分の運命を呪う。

"なぜ?"という否定的な思いに包まれる。

 

しかし、それでも自分のうちには確かな思いがある。

 

"神は今も生きて働いてくださっている"

 

"御霊はこんな私のうちに住んでくださっている"

 

エステル記には、神の御名が一度も出てこない。

また、エステルやモルデカイの祈りに対する明確な言及がない。

 

しかし、それでもエステル記を通して、神が確かに生きて働かれ、その歴史に介入されていることがわかる。

 

神の摂理の御手が随所にあられている。

 

サタンや悪霊の力がどんなに私たちのそれを超えていても、人間の罪を自分の力では克服できなかったとしても、神はそれらに打ち勝つことができる。だから、主にあって希望を抱くことが、どんな時でもできる。

 

すべては神の摂理のもとにある。

神の支配の外にあることはない。

私は、主にあって希望を持ち続ける。

私は、主にあって希望を持ち続ける。

私は、主にあって希望を持ち続ける。