聖書が語る幸いな人
詩篇1篇1節には、幸いな人が有していない性質について書かれています。
そして、詩篇1篇2節には幸いな人が持っている特徴について書かれています。
聖書が語る幸いな人は、
1. 主の教えを喜びとする
人です。
詩篇1篇2節にはこうあります。
主のおしえを喜びとし
その人の喜びの源には主の教えがあります。
テレビやインターネット、スポーツや仕事、異性関係や家族関係などの通常、人が最も喜びとするものではありません。
その人にとって、聖書は堅苦しいもの、退屈なものではありません。
聖書を学ぶことは、その人の心にこの上ない喜びをもたらすのです。
だから、その幸いな人は、聖書に親しみ続けます。それが聖書が語る幸いな人の二番目の特徴です。
2. いつも主の教えを黙想する
詩篇1篇2節にはこうあります。
昼も夜も、そのおしえを口ずさむ人。
脚注には「口ずさむ」という表現について、「あるいは、思い巡らす」とあります。
この詩篇が書かれた時代は、現代のように、一人一人の信仰者が聖書を持つことなど出来ない時代です。おそらくシナゴーグにみことばが写し書きされた巻物が保管され、集会の際に代表者が読み上げ、それを聴衆が聞くという形で、人々はみことばに接していたでしょう。
なので、彼らは毎日自分で聖書を開けるわけではないため、日々みことばを思い巡らして生きていたのです。「口ずさむ」と書かれているように、実際に声を出しても覚えていたのでしょう。
みことばを喜びとする人は、みことばを日常の中で思い巡らし、みことばがもたらす喜びや平安を味わって生きています。
日々、色々なことが起こる中で、願わくは、私の頭はみことばで満たされていたいものです。