クリスチャンパパ物語

How sweet are your words to my taste, sweeter than honey to my mouth! Psalms119:103

詩篇51篇: 解説⑵

詩篇51篇は、ダビデの悔い改めの祈りが記されています。

 

私たちは、罪を犯す度にこの詩篇を読み、祈り、自分の罪深さを覆ってくださる神の恵を改めて思い、偉大な神の憐みを受け、ますます神を褒め称えるようになります。

 

今回は、この詩篇が書かれた背景について学びましょう。

 

第二サムエル11,12章にそのストーリーは記されています。

 

当時、イスラエルは敵国と戦をしていました。

 

11章1節にはこうあります。

11:1a 年が改まり、王たちが出陣する時期になった。

 

王が出陣するべき時に、ダビデは戦場に赴きませんでした。

11:1b ダビデは、ヨアブと自分の家来たちとイスラエル全軍を送った。彼らはアンモン人を打ち負かし、ラバを包囲した。しかし、ダビデエルサレムにとどまっていた

 

ダビデは、家来たちと共に出陣し、軍隊を率いるべきでしたが、彼はエルサレムにとどまっていました。おそらく宮殿でのんびりしていたのでしょう。

 

この時、イスラエル王国は繁栄と安定を迎えていました。ダビデイスラエルの北王国と南王国を統一し、エルサレムを首都とし、宮殿を完成させ、主のために神殿を立てる計画も立てていました。隣国の軍事勢力も衰え、万事が順調に進んでいる時期です。イスラエルを脅かすような敵国はもはや存在しなかったのです。

 

人間の心は、物事が自分の思い通りに運ぶと、神様から離れてしまう危険があります。

 

もしかしたらダビデは、神様に頼る必要性を感じなくなっていたのかもしれません。また、自分が神の計画を前進させる器でしかないことを忘れてしまったのかもしれません。彼は戦場で軍隊を率いるという王としての務めを果たさずに、自分に委ねられている神の王国の指導者としての責任を少しずつ放棄し始めます。

 

そんな彼の心は快適さを求め、誘惑を受け易い状況にありました。

 

1:2 ある夕暮れ時、ダビデが床から起き上がり、王宮の屋上を歩いていると、一人の女がからだを洗っているのが屋上から見えた。その女は非常に美しかった。

 

王の宮殿は、エルサレムの街を守るために、急な丘の上にありました。そして、その丘沿いにある家々を上から一望することができました。

 

その宮殿の屋上からダビデは一人の美しい女性がからだを洗っているのを目撃しました。「からだを洗う」とは、モーセの律法の一環として、体の部分的な汚れを水で流す聖めの儀式を行っていた可能性があります。

 

1:3 ダビデは人を送ってその女について調べさせたところ、「あれはヒッタイト人ウリヤの妻で、エリアムの娘バテ・シェバです」との報告を受けた。

 

彼女の美しさを一目見るなり、ダビデはすぐに家来を送り、部下に彼女のことを調べさせました。彼女は、ヒッタイト人ウリヤの妻で、名前をバテ・シェバと言いました。

 

ウリヤは非常に優れた兵士でした。彼は、ダビデ直属の37人から成る護衛隊の一員でした(2サム23:39)。また、バテ・シェバの祖父は、ダビデの右腕として活躍した参謀の一人、アヒトフェルでした(2サム23:34)。

 

ダビデの詮索はもちろん神に喜ばれることではありません。それは彼が最終的に犯す罪の始まりでした。

 

彼は誘惑にたとえ遭ったとしても、神に祈り、その先のステップ(詮索)には進むべきではありませんでした。しかし、人の心に宿る罪の力は、人間の良識を狂わせます。ダビデは自分の欲望を満たす思いに捕われ、自分の王としての権力を悪用しました。

 

続く...