クリスチャンパパ物語

How sweet are your words to my taste, sweeter than honey to my mouth! Psalms119:103

クリスチャンにとっての二つの論理

【クリスチャンにとっての二つの論理】
 
クリスチャンとして生きていく上で、人間の論理を捨てて、神の論理に生きることを選択するべき状況があると思います。
 
例えば、将来に対して心配を覚える時、「今の状況が○○だから、将来〇〇になるかもしれない」「もし○○が起きたらどうしよう」と人間的に考えます。そして、その状況がそのように心配して当然のものだったとします。
 
でもクリスチャンにとっては同じ状況に別の論理が存在します。主が私の羊飼いがであるため、私のすべての必要は満たされ、主が私に最善のご計画をお持ちで、すべてをそのご計画に基づいて支配し、導かれるので、私には絶望的な状況は存在しない、という神(聖書)の論理です。
 
または、自分にとって好きになれない相手がいたとして、相手が自分にしたことや相手の嫌な性格等を思い浮かべ、「あの人は嫌われて当然だ」「〇〇だからあの人を好きになれない」と考えます。たとえそれが誰の目から見てもそう言えるとしても、主はどんな相手をも、敵をも、愛し、祝福するように命じています。それは、神の敵であった自分が神に愛され、罪赦され、救われ、神の子にまでされたことを考える時には、当然の神の恵みに応答する生き方です。これが神の論理です。
 
日々、どちらに立って生きるのか闘いがあります。私たちの身体が贖われるまで、その闘いは続きますが、御霊は神の論理に生きれるように助けてくださいます。そして、キリストの十字架によってすでに勝利が約束されています。なんと憐れみ深い神でしょうか、勝利を与えてくださる神をほめたたえます!