クリスチャンパパ物語

How sweet are your words to my taste, sweeter than honey to my mouth! Psalms119:103

恐れから解放されるために

これまでfacebookをどのように用いたら良いのか、自分の中で整理できず、迷っていたせいもあってあまり使ってませんでした。

 

また、いろんな友人、知人が見ることができるので、それを気にして、どんな情報を、どのように投稿すればいいのかも迷って使っていませんでした。

 

ただ、今は、自分の中で目的意識を持った上でなるべく投稿するようにしています。

 

その目的はいくつかあるのですが、もっとも大きい目的は、

 

⑴人を恐れない生き方を実践し、

 

⑵教えられ、戒められる場を生み出す

 

ことです。

 

“人にどのように思われるか”を気にする恐れは、僕の最も悩ましい問題の一つです。パウロがテモテに宛てた手紙を見ると彼もそうだったようですね。僕も簡単に臆病の霊に支配されてしまいます。朝、一人で主の御前に静まる時間を持っている時と、人前に出た時とで、両者が悪い意味で違う自分かのように感じてしまいます。つまり、主の御前に生きる自分が本当の自分なのに、人を恐れるがゆえに、人前では違う自分を演じているのです。そんな自分が人に対する恐れに支配されずに、主を恐れ、主に信頼し、人にどう見られるかよりも主の御前に自分がどう生きるのかを求め、その中で思ったことや考えたことをオープンにシェアしたいと願わされました。ちなみに、人にどう思われても良いというような生き方を求めているのでは決してありません。すぐに人に気に入られる(愛される)ことを求めてしまう自分が、御霊に満たされて歩むことで人を愛して生きたいのです。

 

二つ目の理由は、クリスチャンの真実な交わりを求めることからきています。新約聖書を見ると、聖書が語るクリスチャンの交わりは、語り合う交わりであることがわかります。その語り合う内容は色々とありますが、その中で僕が特に難しいと感じるのが教え合うことと戒め合うことです。難しさを覚える最も大きな理由は、僕が謙遜になれないこと、プライドを持ってしまうことにあるでしょう。どうしても自分を守ろうとして、教えられること、戒められることを避けてしまいます。自分のことをオープンにシェアできず、また、相手の率直な意見を求めずにその場を済ませようとしてしまいます。

 

その解決策の一つとして、facebookを使って、自分の思ってること、考えていること、実践していることを投稿することで、信仰の友や先輩、そして、尊敬する先生らが、もしコメントを残してくれ、気づきを与えてくれたら、聖書が語る交わりに少しでも近づけると思っています。事実、これまでの投稿に対するコメントで色々なことを気づかされ、学ばさせられています。感謝です。

 

もちろん、間違ったことを書いたり、自分の未熟さをさらけ出すようなこともあると思いますが、今までの自分の殻にこもる失敗よりも良い失敗だと思っています。肉の自分が望むチャレンジではありませんが、御霊の力によって実践し続けていけたらと願っています!