クリスチャンパパ物語

How sweet are your words to my taste, sweeter than honey to my mouth! Psalms119:103

子どものペース

日に日に、息子はハイハイをしなくなってきました。今日はほとんどハイハイをせずに歩いていました。。これまでは抱っこするかベビーカーに乗せるかして移動していましたが、息子の手を引いて一緒に歩くことも出てきました。

 

息子と一緒に歩くと、自然と彼のペースに合わせないといけません。一度、僕のペースが速すぎて転ばせてしまい、人生初の鼻血を出させてしまいました。。。(反省)

 

彼は、家の外に一歩でも出ると、目に見えるすべてのものに興味関心を持つので、歩いていてもすぐに止まろうとします。そして、何かに触れようとしたり、そこで遊ぼうとしたりします。

 

もちろん、彼と僕のペースは全然違います。そして、彼が立ち止まると僕はせっかちだからか早く行きたい、前に進みたいと思います。または、その日のスケジュールがあったり、約束があったりするので、彼のペースに合わせすぎたり、彼が何度も立ち止まって遊ぶのをすべて許すことはできません。

 

そのような状況の中、自分は彼に対してどのような態度で接するべきか思い巡らしていました。考えさせられたことは、神が私たちに対してどのように接せられるかということ。

 

神は基本的に私たちのペースに合わせて下さるお方です。また、私の自由意志、興味関心を尊重して下さるお方です。

 

例えば、どんなに僕がクリスチャンとして成長するスピードが遅かったとしても、僕を無理やり成長するように引っ張ったりしません。また、僕の自由意志を退け、ご自身がやらせたいことを強制的にやらせるようなことはなさりません。神の民イスラエルに対する、神の導きや寛容さを見ても、そのことは言えるでしょう。

 

僕は、自分の都合で、自分勝手な理由で、彼のペースに合わせようとせず、彼の思いを尊重しないようにしてしまいます。「グチャグチャにされると後片付けが”面倒だから”」「汚されたら掃除しないといけなくなるから」「立ち止まられると自分の思うように事が運ばないから」などなど。

 

しかし、「主の教育」によって育てる事を命じられている以上、できるだけ神が私たちを育てられるように、息子を育てたいと思わされます。そんなことで、今日はできるだけ息子のペースに合わせ、彼の興味関心を大切にして過ごすようにトライしてみました。

 

キリストがご自身のあり方を捨てて仕える者となられたように、時に大人としてのあり方や、自分の都合を捨てて息子に仕える者となりたいです。