クリスチャンパパ物語

How sweet are your words to my taste, sweeter than honey to my mouth! Psalms119:103

親に与えられている自由をどう使うか

二月から妻が仕事に復帰し、週二日私が息子の面倒を見ています。

子どもと過ごす日のスケジュールをどのようなものにするか色々考えさせられます。ご飯とおやつ、お昼寝の時間は決まっているので悩む必要はありませんが、午前と午後に一回ずつまとまった自由な時間があるので、その時間をどのように過ごすか。

息子はまだ話せないので、もちろん何も言いません。ということは、時間の使い方は基本的に私の自由なのです。家で過ごすのか、外に出かけるのか、言ってみれば私がやりたいようにできます。

これまで子どもと過ごしてみて、当然のことなのですが、親である私はこの自由を良くも使えるし、悪くも使えると思わされました。どの親も感じるでしょうが、"楽に過ごしたい"という誘惑はいつもあるんです!職場での仕事のように上司がいて見られているわけでもなく、自分中心に過ごしたいという思いが自然と湧いてきます。子どもは何も言いませんし、幼い子どもはその日のことを大きくなって覚えてるわけでもありません。

でも結局は、こういった一日一日の過ごし方が彼の将来に少しずつ影響を与えると思います。そして、神は一つ一つのことを覚えておられ、報いを与えられます。

僕に与えられている自由を、子どものために使えるかどうかは、ある意味私にとっては闘いだと感じます。

聖書には、「子どもをおこらせてはいけません」という命令があります。これは、子どもの幼少期から適用されるものでしょう。つまり、私の自分勝手な過ごし方、理不尽な対応によって、彼の気分を悪くしたり、嫌な思いをさせたりするのを神は喜ばれないと思います。そうではなく、彼の興味関心に合わせて遊ばせたり、神が造られた自然や動物を見せたりしながら、彼の笑顔を一回でも多く見、天で報いを受けるような一日一日を過ごしたいと願わされます。もちろん、完璧にはできませんし、無理をしてはいけませんが。

正直、子育てはもっと楽だと思っていたんです...。笑 家にいて、子どもを見るのは、もっと自分の自由な時間ができると思ってました。そういう意味では、想像と違って残念な部分もありますが、神から預けられた可愛い息子と一緒に過ごすことができ、いろんな体験をさせ、その都度、彼の反応を見られるのは特別な幸せです。そういう意味では、子育ては想像以上に喜びでした。

親となり、これまで以上に自分自身のことを求めるのではなく、他者のために生きる生き方を学ばさせられています。子も親も成長していくことができますように!