愛してる"つもり"
結婚してからの数年(厳密には交際していた時から)、「自分は妻を(頑張って)愛してる」と自負していた。
それは、相手を愛する”行い”をたくさんしていると思っていたから。
でも、実際は愛してる”つもり”にすぎなかった。
もちろん、それは愛が全くなかったというわけではない。白か黒かではない。でも、自分が思ってるほど、彼女を真実に愛せては全くなかったと思う。
心から湧き上がる愛によって動かされるのではなく、自己中心的な動機から生まれる表面的な愛に生きていた。
相手に”自分が愛してる”ことを認めてもらうために、あれこれやって、愛を伝えようとしていた。そして、「俺は彼女を愛してるんだ」と思い込んでいた。結婚式において愛を誓い、結婚生活において自己愛に生きていた。妻ではなく、自分を求めていた。
そして、目に見える一番身近な妻を真実に愛していなかった私は、目に見えない最も愛すべき神を真実に愛していなかった。神ではなく、自分を求めていた。
「目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。」1ヨハネ4:20
愛の行いは、愛の人となることから、その心が愛の泉となることから、本当の愛が生まれてくる。真実な愛は、人格から心に湧き上がるものであり、表面的ではなく根本的な変革が起こらないかぎり、生まれてこない。
愛の神が、私を愛の人へと変えてくださいますように。