クリスチャンパパ物語

How sweet are your words to my taste, sweeter than honey to my mouth! Psalms119:103

怒り: 悪魔に機会を与えるもの

エペソ人への手紙4章26,27節にはこうあります。

 

怒っても、罪を犯してはなりません。憤ったままで日が暮れるようであっては いけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。

 

「憤り」や「怒り」は、悪魔が私たちを攻撃する時に用いるものです。

 

悪魔が用いる策略の一つは、人の「怒り」です。人の怒りを用いて、神様と人間の、また、人と人との関係を破壊しようとします。

 

同じエペソ人への手紙6章11節にはこうあります。

 

悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。

 

私たちは悪魔の策略を警戒しなければなりません。

 

悪魔が最も攻撃してくる人間関係は、どのようなものでしょうか?

 

その一つは間違いなく、家族関係でしょう。

 

この段落の前の段落において、家庭について語られています。5章の後半、また、6章の前半では、夫婦関係と親子関係について語られています。それらの人間関係について語られた後で、悪魔の策略を警戒するように教えられているのです。

 

そして、エデンの園において、悪魔がエバを誘惑し、彼女とアダムの夫婦関係を破壊しました。

 

悪魔は家庭を攻撃してきます。

 

そして、怒りが悪魔に機会を与えるものになります。

 

パウロが教えるように、私たちは、怒っても罪を犯さず、憤ったままで日が暮れることがないように注意しなければなりません。

 

私たちの心の中で、怒りがグツグツと燃えている時、私たちは悪魔の策略にはまってしまっています。

 

怒りは「赦し」によって消え去ります。

 

エペソ人への手紙4章31,32節にはこうあります。

 

無慈悲、憤り、怒り、怒号、ののシリなどを、一切の悪意とともに、すべて捨て去りなさい。互いに親切にし、優しい心で赦し合いなさい。神も、キリストにおいてあなたがたを赦してくださったのです。

 

また、第二コリント人への手紙2章10,11節にはこうあります。

 

あなたがたが何かのことで人を赦すなら、私もそうします。私が何かのことで赦したとすれば、あなたがたのために、キリストの御前で赦したのです。それは、私たちがサタンに乗じられないようにするためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません。

 

クリスチャンは、怒りを用いるサタンの策略に対して、赦しをもって対抗します。

 

 

エペソ人への手紙でも語られていたように、クリスチャンの「赦し」は神の赦しに基づいています。

 

神の赦しの素晴らしさを知ることによって、クリスチャンは神の力によって赦すことができるようになります。

 

私自身、まだまだ、神の赦しの理解が乏しく、中々人を赦すのが難しいですが、みことばを学び続け、赦せる人に変えられていきたいです。