子育てにおける闘い
子育ては、自分を王とすることとの闘いのような気がする。
子どもを見ていると、どうしても自分の思い通りに、プラン通りに事を進めたいと思う。もちろん、すべてそのようにはいかないが…、出掛けようと思った時間に出掛けられない、自分が求めるように子どもが動いてくれない、せっかく作った料理を食べてくれない等、子どもを相手にすると、子どもは容易に私の思いや考え、要求や期待を”裏切る”。
そのような中でこそ、自分自身を親子関係における主(王)とするのか、キリストを主(王)とするのか、心の中での闘いがある。
子育てにおいて、私たちは、自分が誰を主として歩むのかを試されるだろう。自分のプラン通りに事が進まなくても、全てを治めておられる私の主がおられる。その主に信頼しつつ子育てに励む時に、私たちは不必要な焦り、ストレス、不安、怒りから解放されるのではないだろうか。