クリスチャンパパ物語

How sweet are your words to my taste, sweeter than honey to my mouth! Psalms119:103

相手に良く思われなくても...

「相手に自分がどう思われてるか?」

 

この問いを常に意識して、自分は生きてるような気がします。

 

相手にどのように思われてるのか、また、(自分の言動によって)思われるのかが、自分の感情や行動に大きく影響します。

 

つまり、「相手に良く思われる」ことを求めながら生きているという事ですね。

 

だから、相手に嫌われないようにします。

 

だから、相手に嫌われているのならば、相手の感情を良くするために何らかの働きかけをしようとします。

 

そして、相手が自分を良く思ってるのならば、自分は不快感を持たずにいられるのです。

 

「相手に良く思われたい」という欲求、また、「相手の感情を良くするために何かをする」という行動、そして、「相手に良く思われてることによって自分が満たされる」という満足感は、果たして良いものでしょうか?

 

基本的に、相手の感情はコントロール不可能なので、そのような動機や願いを持って生きるのならば、振り回されることになるでしょう。そして、神様が求められる生き方から外れてしまうのではないでしょうか? それは、相手の求める生き方になるかもしれませんが、神様が求める生き方にはならないでしょう。

 

また、コントロール不可能な相手の感情をコントロールしようとする事は、自分を神様の位置に置こうとすることにもつながるような気がします。

 

このように、様々な点で、「相手に良く思われるための生き方」は間違っています。

 

相手の感情をコントロールする事は出来ませんし、神様もそれを求めてはおられないでしょう。

 

私たちは、自分の感情の所有者です。

 

そして、私たちクリスチャンは、自分の感情を自分の内に住む御霊の力によって正しいものとするように神様から求められています。

 

私たちのフォーカスは、相手の感情ではなく自分の感情でしょう。相手の感情に左右されずに、御霊によって満たされて生きることこそ神様が求めておられることであり、相手に良い影響を与え、相手を愛する道だと思います。