クリスチャンパパ物語

How sweet are your words to my taste, sweeter than honey to my mouth! Psalms119:103

伝道者の書の読み方

クリスチャンの若者から、伝道者の書をどのように読めばいいのか質問を受けました。具体的には、

「空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。(1:2)」「祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。(7:2a)」という言葉は真実なのか? 違うならばどう理解すればいいのかという質問でした。

 

私もすぐにどのように答えれば良いのかわからなかったので、調べてから答えますと話し、幾つかのリソースを参考にしながら、伝道者の書について学びました。そして、昨日、質問をした方やその家族、妻と一緒にこの書について、特にどのように読めば良いのかについて学びました。

 

1. 伝道者の書は理解するのが難しい。

上記に例をあげたように、伝道者の書は、どう理解するばいいのかが難しい箇所が多くあります。なぜ難しいのか? 簡単に言えば、著者の執筆の意図、目的や文脈を無視して読むから難しくなります。文脈から切り離して一節を取り出して理解しようとすると、著者の意図から全く外れた意味をそこに見出してしまいます。そのため、伝道者の書は間違った理解をされたり、読み手に混乱や戸惑いを与えてしまったりするのです。

 

これらの問題から解放されるためには、幾つかの事柄をしっかりと理解する必要があります。ここでは、著者について、また、執筆の目的についてを中心に見ていきましょう。

 

 

2. 伝道者の書の著者は誰か?

伝道者の書にははっきりと誰が著者であるのかは書かれていません。しかし、幾つかの理由から、その著者はソロモンだと言うことができます。伝統的にソロモンだと考えられてきましたし、伝道者の書の中の幾つかの箇所からそのように考えることができます。冒頭の節を見てみましょう。

 

1:1 エルサレムでの王、ダビデの子、伝道者のことば。

 

エルサレムでの王、ダビデの子」と書かれていますが、ソロモンはまさにエルサレム、また、イスラエル全土を統治した王でありましたし、ダビデの子どもでもありました。「伝道者」という言葉は、"コヘレト"というヘブル語の言葉を訳したものです。しかし、このコヘレトという言葉は、本来は「集める者」「集会を招集する者」という意味で、そこから講演者、教師、伝道者を指すようになりました。つまり、知恵ある人物を指して使われる言葉なのです。ソロモンは歴史上最も知恵ある人物でした。

 

他にも、伝道者の書の1章16節や2章7,9節からも、著者はソロモンだと推測することができます。つまり、この書の著者はソロモンだと考えて問題ありません。

 

 

3.執筆の目的は何か?

ソロモンは、神なしで人生の充足を求める生き方がいかに虚しく、愚かなのかを教えるためにこの書を書きました。彼は、ある時期、イスラエルの神から心が遠く離れ(1列王記11:1-13)、この世的な幸せ、快楽を徹底的に追求しました。そして、その追求の結果、彼がそこに見出したものは虚しさだけだったのです。だから彼は「(神抜きでは)すべてが虚しい」と語るのです。彼のその"実験"から得た教訓を、彼は後世の者たちが同じ過ちに走ることがないように、間違った考え方をもって人生を生きないように、または、そのような誘惑に負けたり、この世の荒波の中で人生の正しい方向性を見失わないこの書を書きました。

 

そのため、彼の実験、つまり、間違った生き方を、私たちは正しいものとして捉えたり、真似たりしてはいけないのです。彼が語っていることの中には、それが神を抜きにした事柄、つまり、真理ではない事柄が書かれています。または、聖書全体で語られている真理と調和する部分あります。伝道者の書を読むときには、どこの部分は聖書全体の教えに基づいていて、どこの部分はそうでないのかをきちんと判断する必要があります。そのためにも、聖書全体の知識が必要になりますね。

 

 

4. どのような内容が書かれているのか?

この書は、ソロモンが神をぬきにして、人生の幸福を探求、追求した書です。つまり、彼の哲学的営みの書です。そのために、そこには無神論者や哲学者が好むような言葉も多く書かれています。彼らにはこの書は哲学者の言葉のように思えるからです。事実、そのような人々がこの書を好んで読んだり、引用したりするのです。クリスチャンにとっても、これは神を信じる信仰者の言葉、生き方なのか?と問いたくなるような記述がたくさんあるでしょう。

 

この書の大半が、ソロモンのその実験についての記述です。彼は、この世にあるあらゆる種類の快楽を追求しました。伝道者の書に出てくるキーフレーズは「日の下で(under the sun)」というものですが、彼は、日の下で、つまり、この地上の生活で考えられる幸福を探求したのです。逆に言えば、彼は、天や死後の世界のことについては焦点を向けていませんでした。「日の下で」というフレーズは29回も出てきます。

 

また、この書には「空」という言葉が度々出てきます。全部で37回もです。これは、彼の実験の結果を表しています。つまり、神なき人生は虚しいのです。この言葉はヘブル語では「ヘベル」という言葉です。元々の意味は、「蒸気」「息/かすかな空気」を表します。ソロモンはこの言葉を多用することによって、万物のはかなさ、また、そのつかの間の性質、そして、万物の無意味さや虚しさを表現しています。

 

彼は人間はこの世のいかなるものを求めても決して充足することはできないと言う結論に至ったのです。人は、全世界を手に入れても、ソロモンのようにあらゆる快楽を体験しても、その心が満たされることはありません。

 

私たちを満たすことのできるのは、イエス・キリストだけです。イエス・キリスト抜きの人生には真の充足はありません。逆にイエス・キリストに従う人生には、人のすべての考えにまさる充足が満ち満ちています。

 

マルコの福音書8:35-36 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。