クリスチャンパパ物語

How sweet are your words to my taste, sweeter than honey to my mouth! Psalms119:103

聖書が語る幸いな人

詩篇1篇1節には、幸いな人が有していない性質について書かれています。

 

そして、詩篇1篇2節には幸いな人が持っている特徴について書かれています。

 

聖書が語る幸いな人は、

 

1. 主の教えを喜びとする

 

人です。

 

詩篇1篇2節にはこうあります。

 

主のおしえを喜びとし

 

その人の喜びの源には主の教えがあります。

 

テレビやインターネット、スポーツや仕事、異性関係や家族関係などの通常、人が最も喜びとするものではありません。

 

その人にとって、聖書は堅苦しいもの、退屈なものではありません。

 

聖書を学ぶことは、その人の心にこの上ない喜びをもたらすのです。

 

だから、その幸いな人は、聖書に親しみ続けます。それが聖書が語る幸いな人の二番目の特徴です。

 

2. いつも主の教えを黙想する

 

詩篇1篇2節にはこうあります。

 

昼も夜も、そのおしえを口ずさむ人。

 

脚注には「口ずさむ」という表現について、「あるいは、思い巡らす」とあります。

 

この詩篇が書かれた時代は、現代のように、一人一人の信仰者が聖書を持つことなど出来ない時代です。おそらくシナゴーグにみことばが写し書きされた巻物が保管され、集会の際に代表者が読み上げ、それを聴衆が聞くという形で、人々はみことばに接していたでしょう。

 

なので、彼らは毎日自分で聖書を開けるわけではないため、日々みことばを思い巡らして生きていたのです。「口ずさむ」と書かれているように、実際に声を出しても覚えていたのでしょう。

 

みことばを喜びとする人は、みことばを日常の中で思い巡らし、みことばがもたらす喜びや平安を味わって生きています。

 

日々、色々なことが起こる中で、願わくは、私の頭はみことばで満たされていたいものです。