本当の愛とは何か?
ヨハネの手紙第三1節にはこうあります。
長老から、愛するガイオへ。私はあなたを本当に愛しています。
著者であり長老のヨハネは、ガイオという人物を本当に、(別訳では)真実に愛していました。
そして、この手紙の内容から、ヨハネの真実な愛がどのようなものであったかをうかがい知ることができます。
1. 真実な愛は「祈り」にあらわれる
2 愛する者よ。あなたのたましいが幸いを得ているように、あなたがすべての点で幸いを得、また健康であるように祈ります。
誰かを真実に愛するということは、その人のために真実に祈るということです。
その人が、心も体も、あらゆる面で神様からの恵みを受けるように。
ヨハネはガイオを真実に愛していました。だから、ガイオのために真実に祈りました。
私たちのは、誰のための祈りで満たされているでしょうか? 自分のことを祈り、自分のことを願う祈り一辺倒になっていませんでしょうか? 私自身の祈りのことを考える時、反省させられます。自分のためにはたくさん祈ったとしても、他者のための祈りがどれだけ少ない者でしょうか。
愛の人は、祈りの人です。
愛がない人は、(他者のための)祈りの浅い人です。
キリストの愛を知れば知るほど、私たちは聖霊の力によって愛の者へと変えられていくでしょう。そして、他者の最善のために祈る者へと変えられていくでしょう。自分自身のうちには愛がなかったとしても、私たちの愛の主に確かな希望があります!
2. 真実な愛は「喜び」にあらわれる
3 兄弟たちがやって来ては、あなたが真理に歩んでいることを証ししてくれるので、私は大いに喜んでいます。実際、あなたは真理のうちを歩んでいます。
4 私にとって、自分の子どもたちが真理のうちに歩んでいることを聞くこと以上に大きな喜びはありません。
ヨハネは、ガイオに関する良い知らせを聞いて、喜んでいました。その内容は、ガイオが真理に歩んでいるということでした。
ガイオに対する真実な愛を抱くヨハネは、ガイオに関するニュースによって真実な喜びを抱きました。
彼は、そのようなニュースを聞くこと以上に大きな喜びなないと言っています。
ヨハネの真実な喜びは、他者の歩みに基づくとしたものでした。
自分の歩みに基づくものではなかったのです。
私たちは、自分の歩みに基づく喜びを求めがちになってしまわないでしょうか?
自分に対する祝福、恵み、自分の満足、成功といったものが生活の焦点になってしまうことがあるでしょう。また、私たち自身の歩みばかりにフォーカスが向きがちです。私が真理に歩んでいるかどうかばかり気になり、他者には目がいかないのです。真理のうちを歩んでいるようで、結局は自己愛に生きてしまいます。
主に対する愛に生きる者は、他者を愛します。
そして、他者を愛する者は、他者の祝福された状態を心から喜ぶのです。
3. 真実な愛は「行動や言葉」にあらわれる
ガイオが真理のうちに歩むことを喜びとしていたヨハネは、ガイオのために手紙を書き送ります。
彼は、ガイオが置かれている状況を心配していました。ガイオが属する教会内にいたデメテリオという人物を警戒していたのです。
ヨハネはガイオのことをただ心で心配するだけでなく、手紙を書き送るという具体的な行動を取ります。
真実な愛は、言葉や行動にあらわれます。
ヨハネは、手紙を書き送るだけでなく、ガイオに直接会いたいと、会ってもっと話したいと言っています。
誰かのことを愛していると言っていながら、その人のために何もしないのならば、その愛は真実なものではありません。
キリストから直接、愛の弟子訓練を受け、愛の人へと変えられていったのです。
私たちも、ヨハネと同じ主をもっています。
キリストのことばを心に豊かに宿らせ、キリストの力によって、愛の人へと変えられていきましょう。
そうすれば、他者のために真実に祈り、他者の祝福を真実に喜び、他者のために真実な言動を取る者になることが出来ます。