創造主を信じるとはどういうことか?
ここ最近、霊的なスランプに陥っています。
そんな中、今日は久しぶりに1人静まって聖書を読む時間を取ることができました。そして、創世記の1章1節を黙想しました。
何度も読み、頭では理解している創造の記事ですが、「自分は本当に創造主を信じる信仰に生きているのか?」と問われました。
"初めに、神が天と地を創造した"
聖書は、神がおられるという前提のもとに話が始まります。神がおられるかどうか、という議論はありません。それが聖書の前提です。
「唯一まことの絶対的な神がおられる」という前提のもとに、聖書という本は成り立っています。
私の人生はどうでしょうか? 本来、クリスチャンとしての私の生活は、その前提なくしては、信仰者としての道から外れてしまいます。
しかし、時に、私はその前提を失ってしまいます。「私には神がついている」「神が確かにおられる」という信仰が弱まってしまうのです。
自分ではどうすることもできない罪の問題や無力さを感じる現実の中で、クリスチャンであってもろ神に対する信頼が希薄になり、霊的な失望の中に留まってしまうことがあります。
しかし聖書は、最初の最初から「神が確かにおられる」という揺るがない真理を私たちに提示しています。
空が雲に覆われていても、確かに太陽がその先に存在するように、どんなに大きな問題が私たちの生活の中にあったとしても、神は確かに存在しておられます。
その神は創造主であり、無から有を、混沌から秩序を、暗闇に光を造ったお方です。
私たちの神はそのような偉大なお方であるがゆえに、希望を持てないような状況であったとしても、希望を持つことが確かにできるのです。