クリスチャンパパ物語

How sweet are your words to my taste, sweeter than honey to my mouth! Psalms119:103

“幸せ”の追い求め方についての勘違い

問題が解決されることが必要だと考えていた。問題を抱えない者、平安な日々を過ごす者が幸いなのだと。だから、問題を抱えることは、大きな問題だと考えていた。
 
問題を抱えることで、日常生活がうまく回らなくなり、心の平安が崩れると、余計に問題が取り除かれることを願ってしまう。
 
でも、改めて聖書から考えると、その考え方は正しくはないことがわかった。
 
「心の貧しい者は幸いである」
 
「悲しむ者は幸いである」
 
問題の最中にあっても、本来私は幸いを見出すことができる。また、そのような幸せこそが、本当の幸せなのだ。
 
また、問題(不幸をもたらすと思える事柄)を取り除くことによって、幸せになろうとすることは、その思考の方向性において大きな誤りがあるのだとわかった。そこには、本当の幸いはないし、幸いを手にしたと思っても一時的でしかないだろう。
 
八福の教えから、聖書的な幸せの本質を学びたい。
 
そして、パウロのように宣言できる者になりたい。
 
「私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも貧しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」