クリスチャンパパ物語

How sweet are your words to my taste, sweeter than honey to my mouth! Psalms119:103

パウロの教会に対する確信

「私の兄弟たちよ。あなたがた自身が善意にあふれ、すべての知恵に満たされ、また互いに訓戒し合うことができることを、この私は確信しています。」ロマ15:14

 

パウロはローマ教会が、ここで語っているような道徳的にも知的にも機能的にも優れた教会になることを確信していました。ここまで書いてきたように、パウロはローマ教会の欠点も知っていて、ユダヤ人と異邦人がさばきあったりしていることも知っているわけです。しかも、自分自身の目で直接ローマ教会を見たこともないのに、彼らが聖書的な立派な教会になれると堅く信じることができているのです。

 

これは僕には不思議に思えます。この地上にある地域教会は、罪人の集まりであり、みな欠点を抱えています。教会生活が長くなればなるほど、その現実を知っていくようになり、パウロの抱いていたような確信を持ちづらくなっていくのではないでしょうか。

 

パウロは人間の罪について誰よりもよく知っている人物です。しかし、同時に、その集まりである教会に対して誰よりも希望を抱いています。

 

おそらくそれは、パウロ自身が罪人のうちに働く神の力を深く体験していたからでしょう。この節の続きで、パウロは自分の宣教活動は、自分の力ではなく神の力によるものであり、自分は神の働きに参加させていただいたのだと話します。パウロは、人間の現実、限界を知りつつも、それを補って余りある神の恵みを知っていたのです。そして、自分自身の回心や変化を通して、また、宣教活動中に見た人々の回心や変化を見て、罪人に働く神の力がどれほどのものであるかも知っていたのでしょう。

 

今、僕はパウロのような確信を抱けていませんが、パウロが知っていた神の力を、これまでの人生でいくらかは体験させていただいています。今までの教会での人間的な体験や教会で受けた傷などに目を向けるのではなく、神の力、神の恵みに目を向けて、パウロの抱いた確信を自分のものとしていけるように願っています。