クリスチャンパパ物語

How sweet are your words to my taste, sweeter than honey to my mouth! Psalms119:103

敗者のように見える真の勝利者

先日、自転車で職場から帰っている途中、危なく車にひかれそうになりました。そのドライバーは明らかに彼が交通ルールを無視して起こった出来事なのに、僕に対して怒ってる様子を見せ、車の中で何か叫んでいました。おそらく僕に罵声を浴びせていたのでしょう。

 

僕は交通ルールやマナーのこととなると、やたら腹が立つことがあります。でもなぜかこの時はあまり腹が立ちませんでした。自分でも不思議でした。

 

そして、腹が立つどころか、逆に彼の短気な性格、自分を制御できない心に憐れみの感情が湧いてきました。そして、彼の祝福を祈りました。自分の力で頑張ってそのようにしたのではなく、自然と聖霊に促されて行うことができ、自分でも少し驚きました。

 

ただ、もちろん、自分は悪いことをしていないのに、相手が勝手に怒り、自分が不当な扱いを受けるならば、それはとても嫌なことです。そして、相手にやられっぱなしの自分にイライラし、まるで自分が敗者になったかのように感じます。

 

そんなことを考えながら、聖書には"敗者のように見える真の勝利者"が出てくることを思わされました。イエス・キリストもそうですし、ステパノもそうでしょう。彼らは不当な扱いを受けても、敵のために祈り、彼らを愛しました。

 

そのキリストの模範に従うには、自分の努力では無理でしょう。聖書と聖霊によって変えられていくことによって、自然とできてくるのだと思います。そして、自分の力ではない到底無理なことが神の力によってできるからこそ、神をほめたたえ、神に感謝を捧げ、神に栄光を帰すことができるのだと思います。

 

神抜きで感じる自分の感情(「敗者になることが受け入れられない」「周りから敗者とみなされることが嫌だ」「相手を絶対許せない」という思い)に心が支配されることから、御霊によって勝利し、神の恵みの目で相手を見、祝福を祈る者にますます変えられていきたいです。