創世記10章と11章は矛盾するか?
創世記10章と11章の関係について、今のところ、私はこう考えています。
旧約聖書には、”再記述の法則”と呼ばれるものがあります。これは、著者が一旦大枠を説明した後で、再度その大枠のある事柄にフォーカスを当てて説明するというものです。つまり、この法則に従って執筆される箇所は、時間が逆戻りしてるかのように見えます。
例えば、有名なのは創世記1章と2章です。1章で、6日間の創造が終わったはずなのに、その後に人間の創造の説明が出てきます。これは6日間の創造の後に起こった出来事なのではなく、6日目の人間の創造について詳しく説明しているわけです。
創世記10章と11章の箇所も、私は再記述の法則に従って書かれていると考えています。
ここでは、10章でノアの子孫がどのように増え広がり、地を満たしていったのかが書かれており、11章ではその過程で起きたある一つの出来事(バベルの塔)にフォーカスを向けられています。最初は一つの言語しかありませんでしたが、ノアの子孫が増え広がっていく途中で、バベルの塔の出来事が起こり、そこで言語が分かれ、人々はそれぞれの言語、地域で生きるようになった、というわけです。
なので、10章と11章は矛盾しませんし、時代が前後しているわけでもありません。