クリスチャンパパ物語

How sweet are your words to my taste, sweeter than honey to my mouth! Psalms119:103

主観的感情vs客観的真理

ここ最近、毎日のように、クリスチャンライフというのは、「主観的感情」と「客観的真理」のどちらに立つかの闘いだと思わされています。

毎日いろんな出来事が起こり、その度に感情は揺さぶられます。その時に、感情に従って生きるのか、聖書の語る客観的真理に従って生きるのか、その選択が結局はクリスチャンライフを分けるものになるのだと思います。

言葉で言うのは簡単でも、実践するのが難しい。その度に、聖書という高い基準に生きるのは重荷だと感じてしまいます。何をすべきかは分かっていても、容易に感情に流されてしまいます。そして、難しいと思えば思うほど、重荷だと思えば思うほど、感情に流されれば流されるほど、聖書に従って生きる道から離れていってしまいます。

何度もそうして失敗してきましたが(今もしています)、長い時間をかけて段々と、そういう考えから解放されてきているように感じています。つまり、本当は自分が思っているほど難しくないし、重たい重荷ではないのだと思えるようになってきているのです。

いざ感情的になってしまった時は、自分の感情を脇に置いて正しいことを実践するなんて無理だと思ってしまうのですが、少し時間を置いて聖書の教えに心を向け、祈り、それに従うことを選んでみるならば、嘘のようにそれまでの感情が心から消え去り、平安が与えられ、それまでは絶対無理と思っていた真理を楽に実践できるようになります。これはみことばに生きることを助ける、御霊の働きのおかげですね。

このことは、マタイの福音書11章28-30節に書かれたイエスの言葉に当てはまると思います。疲れ、重荷を負い、主観的感情が揺さぶられるような時に私がすべきことは、その状況や感情に流されて生きることを選ぶことではなく、イエスのくびきを負うことです。つまり、自分の感情にではなくてイエスに従うことを選ぶのです。「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いのです」と書かれているように、イエスに従うことは、難しいようで易しく(easy)、重たい重荷のようで本当は軽い(light)のです。

まだまだ感情に負けてしまうことが多くありますが、主観的感情ではなく客観的真理に立って生きることにチャレンジし続け、イエスと共に歩む道の素晴らしさを体験して生きたいです。