クリスチャンパパ物語

How sweet are your words to my taste, sweeter than honey to my mouth! Psalms119:103

クリスチャンの目に見えない闘い

クリスチャンとしての歩みには闘いがある。

 

その一つが、主観的感情と客観的真理の闘い。

 

言い換えれば、自分の感情に立つのか、聖書が語る真理に立つのか。

 

もちろん正解は客観的真理に立つことであるが、口で言うのは簡単だが、実行するのは難しい。

 

主観的な感情は容易に自分自身を支配するものになるので、客観的真理を学んでいても、結局は聖書のみことばから離れて生きてしまう。

 

そして、おそらく、人間関係において、人はよく主観的な感情に呑まれてしまうだろう。人間関係ほど人を悩ますものはないのではないだろうか。

 

人間関係におけるストレス、怒り、赦せない思い、罪責感などは、客観的真理を退ける原因となる。そして、それらは、主観的感情に基づいた行動を生み出し、それがさらに人を苦しめるものとなる。

 

この場合、自分自身も主観的感情に立っているし、相手のことも客観的真理ではなく主観的感情に立って見ている。つまり、神がその人を見られているようには見ていない。

 

しかし、この客観的真理、特にアイデンティティにおける位置的真理(キリストにあって自分は何者なのかの真理)から離れてはクリスチャンは実を結べない。いくら頑張ってもキリストが喜ばれることを一つもできない。位置的真理からズレると良いものを生み出すことはできなくなる。だとすれば、問題の解決はここにあるのである。いかに主観的感情の支配を逃れ、客観的真理を受け入れられるか、その目に見えない闘いに勝利しなければ、主観的感情からの解放はない。そして、客観的真理に立つ時、それが主観的な感情と一致してくるのである。

 

人間関係における解決は、その人とどう向き合うか以前に、聖書が語る客観的真理と向き合うことから始まる。