クリスチャンパパ物語

How sweet are your words to my taste, sweeter than honey to my mouth! Psalms119:103

愛情表現ってしなくてもいい?

オーストラリアではよく、日本人の私にはできないような大胆な愛情表現をしているカップルを見かけます。


ある日、職場から自転車で帰っている時に道端で熱いハグをしているカップルがいました。思わず、気になって横目で見てしまいました。いやぁあんなに大胆にハグしてるのを見ると、見ているこっちが恥ずかしくなります。笑

 

「あんな愛情表現は自分には無理だなぁ」と思いながら自転車をこいでいると、ふと、聖書が語る神も愛情表現をされる方だと思わされました。

 

神は、みわざによって、また、みことばによって、その愛を表現されています。

 

この世界を造られた創造のみわざも、イエス・キリストの救いのみわざにも、神の完全な愛があらわれています。

 

また、聖書には神がその愛を具体的に言葉にされている箇所がいくつもあります。

「永遠の愛をもって、 わたしはあなたを愛した。(エレミヤ31:3)」「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ43:4)」「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。(マタイ3:17)」などなど。

 

そして、堕落前の結婚関係は、裸でも恥ずかしいと思わないオープンな関係だったのですから、"恥ずかしいから言わないでおこう"というのは良くないように思えます。聖書に書かれた最初の人間の言葉も愛情表現だと言えるでしょう。

 

自分は日本人だから、愛情表現はそんなにしなくてもいいと思ってました。だって、なぜか自然と恥ずかしいと感じてしまうんですから。でも、ちょっと反省です。だからと言って、海外の人のようにそこまで大胆にしなくてもいいと思いますが。笑 

 

神様のように、行いと言葉をとおして、その愛を表現できたら、そのことを通しても神の栄光をあらわすことにつながるかもしれません。