クリスチャンパパ物語

How sweet are your words to my taste, sweeter than honey to my mouth! Psalms119:103

震災から七年、今思うこと

2018年3月11日、東日本大震災から7年が経ちました。

 

私は宮城県仙台市出身で、地元が被災し、被災地にある教会が設立した支援団体で5年間ほど働いていました。今では、オーストラリアに住んでいるので、被災地には直接の関わりはありませんが、震災から7年が経ったことをどう考えればいいのか、悩みました。

 

東北を離れている自分にとって、自分の中ではこれまで以上に震災が遠いことのように感じられます。以前までは自分は震災支援にも関わり、震災を風化させないようにと語っていたのが、今では自分の中で風化が進んでいるように感じます。被災地のことに関しても、現在の状態はほとんど知りません。注意してニュースを見ているわけでもありません。それなりに被災地に濃い関わりがあった者として、今でも震災による苦しみ、悲しみの中にいる人たちがたくさんいるであろうことを思うと、今の自分の状態に複雑な思いが心に湧き上がってきます。また、自分はクリスチャンとして、どのように考え、祈るべきなのか迷います。

 

聖書を読みながら、一つのみことばから考えさせられたことがありました。ローマ人への手紙8章28節です。

 

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」

 

神様は、それがどんなに辛く悲しい出来事だったとしても、そこから良いものを生み出すことのできるお方です。神様はそのために"今この時も"生きて働いておられます。

 

ここに書かれた"働く"という動詞は、原語では現在形で書かれていて、それは継続した動作を表しています。つまり、神様は今この時も、被災地に住んでいるクリスチャンのために、震災に関わったクリスチャンのために、震災という悲惨な出来事を通して良いものを生み出されるよう生きて働いておられるのです。私はこのことに大きな希望を覚えます。今、被災地でクリスチャンとして何らかの支援に携わることができなかったとしても、被災地にある教会のために仕えられなかったとしても、私の状態に関わらず、神様は被災地においてこれからも生きて働いておられます。

 

みことばにあるようにこの約束は、"神を愛する人々"に対して与えられているものです。この愛するという言葉も現在形の分詞だそうです。神様に対する愛が過去のものではなく、今もあり、日々神を愛することで、その愛がどんどん深まり広がっていく...。そんな姿をこの言葉に私は見て取ります。そのような愛をもつクリスチャンには、キリストの御姿にますます変えられていくために、どんな出来事も益とされます。

 

被災地にはクリスチャンでない方々がたくさんいるでしょう。そして、今でも震災によって苦しみ、悲しんでいる人々がたくさんいるでしょう。私は祈ります。辛く苦しい思いを抱えた人々のうちで神様が豊かに働いてくださり、イエス・キリストを信じる信仰を与え、創造主なる唯一まことの神を愛するようにさせてくださり、その人にとって、震災が別な意味をももつものとなるようにと...。救われる人々が多く起こされ、震災という悲しい出来事を通しても、神様によって恵みが注がれ、被災地で神の栄光が豊かに輝きますように。