子どもの"じりつ"を目指して
最近、子どもが自分の足で立って、歩いている姿を見ながら考えたことがあります。それは、"じりつ"についてです。
一般的に子どもの"じりつ"は、「自立」という漢字が使われますが、「自律」という漢字も子どもの成長を考える上で、大事な意味を持っていると思います。特に霊的な面において。
この二つの"じりつ"について、もう少し考えてみました。
1. 霊的な「自立」について
私は、我が子の"自立"を願っています。その意味は、私の子どもが自分で神の御前に立てるようになることです。主体的、自発的に神の御前に進み出、神の子としてのアイデンティティに立って生きるようになることです。子どもは、霊的に死んでいるか、未熟な状態であるのが普通です。それが、霊的に成熟し、親や他の大人の霊的なサポートがなかったとしても、自分自身で神様との深い交わりを持って生きるようになることが自立でしょう。神との関係が回復され、肉のアイデンティティにではなく、キリストにある自分に立って生きるにトライし続ける。この霊的な自立を目指して、子育てに励んでいきたいです。
2. 霊的な「自律」について
私は、我が子の"自律"を願っています。その意味は、私の子どもが人生の正しい規律(聖書の真理
)をかたく握り、その規律によって自分自身を律して生き、真理が与える自由と平安、喜びをもって生きることです。世の中の流行や人の言葉によって左右されるのではなく、神のことばをよく学び、その神のみことばに基づいて自分で考え、行動する人間となってほしいです。
どんな子どもも、自分の力だけで自分を自立、また、自律させることはできません。それは究極的には神の働きです。ただ、神は私に彼を預けてくださったので、彼がこの二つの"じりつ"を得られるように子育てに励んでいきたいです。神が助けてくださいますように。